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竹原師匠のBRIOな時間

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頑張ろう東北! 頑張ろう日本!

 

第92回:年の終わりに謹んで (或いは多忙の中の海ゆかば)
 

寅次郎 「いやぁ早いものですねぇ」を言う月です。繰り返し言います。誰彼なしに。まったくもって実感です。また忙しいですねぇ〜この12月というところのものは。そしてクッタクッタになって帰宅しますればうちの居候おばかネコが、←のような姿勢でダレ寛いでおります。情けないやら可笑しいやら。気楽なもんです。そしてわたくしがネコに向かってつぶやくセリフも毎度同じです。「気楽でいいねぇお前というところのものは、世間様に対してまったくなんの役にも立っておらんねぇ

 皆さまに置かれましてはこの12月、どんな案配でござりましょうや。お酉さまも過ぎ、師走に突入もこの気温の上がり下がりは如何なものか。今年はこの冬用にコートを2着購入しました。グレー・ツイードのトレンチ・コートスーツ用のダウン・コートです。ショップは【ミシェルクラン オム】。勇んで買ったはよろしいが、この気温ではなかなか出番が廻ってきません。(かっこいいコートなのですよぉ〜特にこのツイードのコートは。丈が変に短くなく、膝小僧のちょい上。襟周りが少し高く、生地厚のわりに柔らかい。オフの日、スーツでなくとも厚手のアラン・セーターやフィッシャーマンズ・セーターに合わせても相性が良さげ。セーターの色は黒でも良いがここはボルドーでいきたいぜ。そうなるとパンツはチノよりデニムでしょうなぁやっぱり。そんでコートにボリュームがあるので、シューズはド定番のコンバースのハイカットが良くね? 色はベージュ、ですな、わたくしの今のイメージは)

 寅次郎しかしお昼が温かいと夜の気温が10度くらいでも寒く感じるものですよね。特に夜遅く帰りがけに熱燗をちょいと引っかけて暖簾をくぐり外に出ますれば、ブルッとひとつ震えがきます。こういうときには「ブルッ ! っきしょうめ !  ダウン着てくればよかったい」と悪態をつくネコ並みに寒がりなこのやつがれ。

 またですね。これは花粉症なのか知らねども、どうも鼻がグズグズします。毎日多量のティッシュ・ペーパーを消費する始末。皆さまに置かれましては如何でござりましょうや。あたくしは最近なんだか年中花粉症の感じ。あぁ〜グズグズする。鬱陶しい。しかしですね、これがですね、夜お酒が入るとあら不思議、ピタリと止まります。こりゃいったいなんということでしょう。

【以下は個人的呟きです】 *************************************************************

 今年は例年に増して多忙の年であった。色々な事があった。秋に突然父親が旅立った。

 私の父親は大東亜戦争末期予科練に入隊するものと思い込んでいたが、直前に終戦を向かえた。殉じようとした命が宙に浮いた。大いに戸惑った。が、学校に戻った後、旧国鉄職員になった。後大手企業に移り、結婚した。子供が生まれた。浮いた命は家族の為に使う事にした。神武景気の波に乗り脇目も振らず働いた。一番大切なのは家庭だった。出来る得る限り夕飯は家族と取った。夕飯後会社から呼び出しの連絡が入る事もあった。そんな時は仕事場に戻った。躾に厳しかったが大きな声でよく笑った。当時の土曜日は半ドンだった。その日は必ず家族四人で映画館に行った。弟と二人売店でコーヒー牛乳と都昆布を買って貰った。帰りは洋食屋か蕎麦屋に寄った。食べ物は好き嫌いをしないよう注意した。食べ物の薀蓄を言う男を避けた。男は出されたものを黙って食え。身なりに気を使った。浪費はしなかった。良いものを清潔に保ち長く使った。母親もまめにブラッシングをした。私は父親と母親の夫婦喧嘩を見た事がなかった。後に友人に話すと変人扱いされた。お互いよく笑う夫婦だった。鼻歌をよく歌った。「大利根月夜」か「月月火水木金金」だった。相撲と野球をよく観た。柏戸と阪神タイガースが贔屓だった。数を頼まず、義に依っての行動を厭わず、嘘を嫌った。終戦後、大正生まれから父親の世代が日本復興の大車輪になったのは間違いない。日本の各大都市は空襲により焼け野原になっていて戦前の生活に戻るのさえ50年掛かると言われた。しかし僅か23年後の1968年、日本の国民総生産は西ドイツを抜き米国に次ぐ世界第二位になった。その前々年には東京オリンピックが開催され、不可能と言われた新幹線を開通させていた。早生まれだが私と同い年の作家百田尚樹さんの講演からこの言葉を引用させて頂く。「どんだけ働いたんや日本人!どんだけ働いたらこんな事が出来るんや!

 棺が閉まる前私は父の手に触れた。この手が私に拳固をくれ、私の髪の毛がくしゃくしゃになるまで頭を撫で、背中を押してくれた手だった。ありがとうございましたが言葉にならなかった。

  式には大勢の方々に来て頂いた。出棺時、外は見事な日本晴れだった。出口で係の人がピアノ演奏をしてくれた。事前にお願いしておいた「海ゆかば」が流れ始めた。年配の方々が低く唄っていらっしゃった。私はともすると前に曲がりそうになる背骨を何とか垂直に伸ばした。それでいい、すぐ近くで父がそう言ったような気がした。はい、と小さく答えた。やり取りに気付いたのか両脇の母と弟が同時に私を見上げほんの僅かに微笑んだように思う。自信はないのだが。

 皆さま。ひとまずこの回でこの連載第1部は終了です。拙い文にお付き合い頂き、感謝申し上げます。是非またここでお会いいたしましょう。編集部の方々、真にありがとうございました。

 さて、今年も余すところ僅かです。皆さま、どうかご健康に留意され良いお年をお迎えください。謹んで。 さらば今年。

2015.12.24

永らくご愛読いただきました「竹原師匠のBrioな時間」は、師匠がご多忙につき年明けから暫く休載いたします。師匠、いつも完璧な原稿を期限内に仕上げて下さりありがとうございます。また楽しい話題を携えて再登場の日を心よりお待ちしております。(編集部)

Profile

竹原師匠 竹原将博:
株式会社プラパ(http://www.purapa.co.jp/) 常務取締役
毎日2回メンクラ全盛期のカンペキな身だしなみと身のこなし、ファッションで
(株)ネットジャパンにお出ましになり、あらゆる雑事を解決してゆく頼もしい助っ人。
彼からダンディズムを学ぶべく、社内外でチーム竹原が結成された模様。